2014年10月12日日曜日

膀胱を覗いたらキューブリックと出会った話(3)



いよいよ処置が始まる。ボロンと宙に浮いた僕の先端に、看護婦さんがゲル状の麻酔を塗り込んだ。冷たくてトロッとした感覚そのものが、細い線になって僕の内側に下ってくる。こんな感覚は初めてで、正直そこそこ気持ち良い。看護婦さんが外に出て、効果が出るまでのおよそ10分を一人で過ごすことになった。現実を直視するな、想像力を働かせたら自分を追い込むことになる。ひたすら自分にそう言い聞かせ、頭の中ではインディ・ジョーンズのテーマを繰り返し再生していた。彼の冒険こそが、「狭いところを無理やり進む」なかで最も明るいイメージだったからだ。

しばらくして、男の先生が入ってきて準備を始めた。よほどの表情をしていたのだろう、看護婦さんが「緊張していますか?」と僕を気遣い、息をハーと吐くと緊張がほぐれるのだと教えてくれた。ハー。ハー。ハーーー。これから起こることは、ただ受け入れるほかにないんだ。覚悟を決め、何も見ないようにしていた僕の視界に、先生の持つ黒いうどんのようなチューブが見え隠れする。僕は何も見ていない。


「まぁ、痛くなくはないです」という先生の不吉な二重否定と共に、膀胱鏡が僕の尿道に挿入される。

・・・・・・。

「!!!!」 痛い痛い痛い!麻酔の効果がどれ程かは知らないが、今感じるこの痛みは「太いチューブを尿道に通したらこれくらい痛いだろうな」と想像した時の痛みそのものじゃないか!排尿の時の感覚に近いが、その接触部分全てが鋭い痛みをもたらすような感覚。チューブの進行は止まらない。先生のクニクニした手つきが目に入る。思考がありえない速度で加速しているのが分かる。息をフーと吐く。痛みが一瞬和らぐ。フーと吐く。フーと吐く。痛い!フーと吐く。そして、痛さのピークを迎えたとき、「一番痛いところを越えました」、との言葉が聞こえた。

痛みはまだ消えないが、先ほどまでの刺すような辛さはない。フーと吐く息は「ヒッ、ヒッ、フー」の「フー」の部分なのか、と思えるくらいの余裕は生まれた。チューブを操作しながら時折写真を撮る時間が続いていく。生理食塩水を注入された下腹部に違和感があったが、耐えられないほどではない。しばらくして、一緒にカメラの映像を見ることになった。




なんて綺麗なんだ。冗談抜きでそう思った。ピンク色でツヤのある肉の壁に囲まれた空間からは、不思議な静寂が感じられて、少しばかりうっとりしてしまった。その光景に心惹かれ、画面をまじまじと見続けていた。膀胱の全体を見て回ったが、検査で問題視されていた部分にも目立った外傷は確認できないという。

一通りの検査を終え、チューブを抜くことになった。ディスプレイの向きを戻すのが手間だったのだろうか、入れるときと違って僕はカメラの捉える画面を見ることが出来た。抜くときの痛みはそれほど強く感じない。僕の目は画面に釘づけになったまま、スルスルと外に向かってチューブが抜かれていく。



そのときの光景が、強烈にデジャブした。映画「2001年宇宙の旅」ラスト間近、主人公ボーマンが夥しい数の星の群れ(或いはそのイメージ)="スターゲイト"の中を通り抜けるシーン。ピンク色の輝き。光の洪水の中心にひときわ明るく輝く何か。色の数もエフェクトも違う。でも、その壮大さと神秘性は変わらない。宇宙と脳神経細胞の構造は似ているという。尿道とスターゲイトとが似ていてもいいだろう。むしろ、監督であるキューブリックはここから着想を得たんじゃないかと思えるくらい、両者のイメージは僕の中で完璧に一致した。人体と宇宙は繋がっている。不思議な納得感が訪れた。

チューブが外に出て、元通りの生活が始まった。やっぱり少しヒリヒリする。でも、しばらくはあの痛みと付き合わなくても良いのだ。十分に耐えきったじゃないかと誇らしい気持ちになる。事後説明や会計処理を済ませたのち、病院の外に出るとむしょうに肉が食べたくなった。男らしさの回復を本能が求めていたのだと理解している。道路を挟んだ大戸屋に入り、いつもよりおかずを一品多く頼んで僕の夏休みは終わった。

(完)

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